文系院生の恋愛結婚事情・現実・・・

 みなさん、世間のメディアなどでご存知の通り、文系院生は就職が厳しい。将来生活できるかどうかわからない。

 ずっと三流街道を歩んできた私から見ると、あれだけの才能と能力があるのになんで、こんな割の合わん世界に来たの?と思いたくなるところである。しかし、もちろん、求めるもの、それはお金には代えられない何かがあるから来たのである。私もそうだったように。

 それは、さておき、この「何かを代えられないもの」を得るための代償はけっこうでかい。一番大きいのは恋愛から結婚に至る親密圏の生産活動である。20代半ば、20代後半、30代前半と、いわゆる「普通」に大学を卒業した後、企業に行ったり、公務員になったりした人は、なんだかんだいって、それなりの名の大学を卒業していると、それなりの給料をもらい、それなりの地位につく。そうなると「それなり」の人生設計として、プライベートな部分でも適齢期がおとずれ、精神的な均質さ、文化・経済資本という利害が合致する異性と出会い(まあ、社会的には出会わされるのだけど・・・)恋愛し、儀礼的に、多くの場合、男性の側がプロポーズを行い、結婚する。

 しかし、ある意味で、同じエリート層にいながらも、このサイクルから逸脱した院生たちは、恋愛・結婚がしにくい。高校時代の様に、身近になんとなく気が合い、セックスが合う異性と楽しくやるだけでは世間の目が気になるし、もの足りない。まあ、私はそれでいいんだけど。かといって、逸脱している者同士ということで、同じ立場にある同僚たちに走るほど、割り切れてもいない。これは偏見であるが、日本では女性院生の場合、わりと多くの人が「結婚」して、この逸脱を回復する可能性がまだあると考えている。だから、同僚の男性院生というのは、まずパスするだろう。もし、同僚を選ぶと「逸脱」が決定的になるからである。言ってみれば、この世界で生きていくという宣言になるからである。それは時に貧乏のままでいることを受け入れるということにもつながる。

 そうなると、男性も、女性も同じ研究室にいたり、同じ業界にいながらも、出会うことを避けるようになる。その結果、個人が親密圏を生産する活動は大きく停滞する。その代わりとして、同僚同士、研究室内で、恋愛結婚関係とは別のコミューンを作り、「癒し」や「精神的な再生産」の場を作るというのも手としてある。
 ただ、これは経験上、修士の利害がそんなにないときにはできるのだが、業績に差がつき、それが実入りに反映されるようになると、一部が「逸脱」からやや回避され、「社会」復帰して行くだけの経済力をつけ、一部がずっと「逸脱」状態になるわけだからコミューンそのものが崩壊する。
 そうなると院生はますます孤立する危険に陥る。

結論として、やっぱ恋愛しましょう!自分のためです。孤独から生まれることもあるけど、まあ、ないこともある。

この話ちょっと単純すぎるよね?もっと多角的に検討を続けたいです。