文系院生恋愛・結婚―男子をみると・・・

続きものです。では、文系大学院生男子を見た場合の恋愛・結婚事情はどうだろうか?

すみません。ただごのブログ、ヘテロセクシャルの人を前提に書いていますので、それ以外の方々がどう思われるのか・・。

 端的に言って深刻である。

 社会構造上男性が世帯主になり、主な収入を稼ぐことが求められる日本社会(いや大多数の近代国民国家)においては、この義務を履行できないというのは、ほぼ社会から「逸脱」しているに等しい。そうなると、

院進学=親密圏もしくは家庭の再生産活動は無理

 という図式になってしまう。また、一部の女子院生がまだ望みとしてもっている社会的なステータスや収入がある男性との結婚という「上昇婚」のお相手になるというのは親が石油王などならともかく基本的には厳しい。

 その結果、同僚の女子院生からは、恋愛・結婚対象とはみなされず、院外部の女性からも当然、恋愛結婚対象とはみなされない。

 もちろんこの図式もかなり偏っている。そうなるとどうすべきか?(とは言っても、この議論自体恋愛・結婚しようというのを前提にしているような感じなのでやっぱり偏っているが)

要は、パートナーをみつける発想や必要性そのものも、「逸脱」すればいいのである(言うのは簡単だけど)。 院に入る時、お金やビジネスシーンでの努力では得られないものを、得るために何かを捨て、何かを選んだようにすればよいのであろう。

 そして、それを実現するためにはまず「逸脱」する覚悟を決めて院に入ってきた女性と係わろう!別に院生である必要はない。要は相手が「一般人」でもよい自身の「逸脱」ぶりを表現することである。

 そこから逆説的な発想がはじまる。たとえば、貧乏だから結婚するという発想でもいい。一人で住むより、二人で住む方が何かと安く上がるし、便利である(まあ、もちろん男女関係なんでそれだけでは・・だが。)

 女子の院生、もしかしたらけっこう稼いでいる女性なら、家事はしたくないし、誰かに押し付けたい。なので、結婚しにくい社会的属性の男子と結婚して、家での力関係をつよくする。なんてのもありである。なので、男子たち家事はできるように!

 「逸脱」には、結婚も恋愛も「逸脱」したものにすることで対応できるかもしれない。「一般的」というこだわり捨てること、そこから大きな一歩がはじまるかもである。

 大学院でLove life もトランスしよう!
ちょっとおちが単純だったかな・・・。