若者をみる 日本のコミュニティをみる
おもわず、ここ最近でもっとも共感をもった社会学者と思ってしまったのが古市さんである。歳はぼくよりもずっと若い。なのにメディア登場も多いし、フットワークも軽快でいろんな学者さんからも可愛がられている様子がよくわかる。たぶん、勉強もけっこうしているのだろう。
引用する学者の体調(これは古市さんの主観だが)や、出身都道府県などもわかるし、フィールドワークは面白すぎるのがよい!
印象からすると小熊英二さんの影響がけっこうつよいなあ。
だが、若者論としては 共感する部分、私が言語化できなかった(あえて、しなかった)部分を見事にわかりやすく説明できていて、お見事!というところである。
そもそも以下の2冊で形成された理論はこうである。
現代の若者は 自分が「認められる」こと、「承認」される「やさしい」集まりを求めて、ある目的をもった「団体」や「社会運動」に参加するんだけど、そこでの理念や目的は、やがて忘却され、自分が「承認」される「癒し」としての「社会関係」だけが残る。
また、若者を取り巻く多くの大人たちが、なんとなく漠然とした目標しか持たず、その目標を達成できる資源にアクセスできない若者たちに無責任に「がんばれ」ということを批判して、「あきらめさせろ!」と主張する。
古市氏は そういう若者の社会関係でいいじゃないのか? 目的や理念は「がんばる人」が達成することにおまわせすればよいというのが持論である。
古市氏は 最近の若者コミュニティ論には否定的である。海外ではホネット、日本では中西新太郎さんなどが唱えている若者の「承認の共同体」は社会において自分たちが承認されないという不満が変革への原動力になることをかなり肯定している。それに対して そうならない というのが古市氏の論である。
私としては軍配を古市さんにあげたい。
なぜなら、集まりだけがある「ゆるい」、「やさしい」に集まりで集まっても、けっきょくそれは一瞬の「癒し」にしかならんわけである。そこに集まる派遣やバイトでなんとか食べている若者たちは、日頃の不満をそこの人間関係や家飲みで解消しているにすぎない。この手の集まりからは変革への社会に対する怒りは生まれんだろう。悪いが。
古市氏の言う通り、こういう社会関係資本は結局、低所得での労働者層である若者や人々の現状を持続させてしまい、安価な労働力の「再生産」機能という悪循環をつくっているという意見に賛同せざる負えない。
また 解説反論をした本田由紀先生の「人間関係持続しない」説には大いに賛同する。
あえて曖昧に言うが、ぼくは、いままで、身近なところで 人間関係がころころと変わる連中をみてきた。それらの集団はいちおうある目的のもとに集まっている連中である。ところが、目的なんて忘却してしまっている様子であった。ひたすら何か月おき、何年かおきに「集まり」をメンバーチェンジしていた模様である。
では、意見として、「癒し」「承認」に人間関係と目的を分ければどうだろうか?
以前 わたしが住んでいたアパートはみんな仲が良かった。
そこで飲み会をしたり よくしたもんである。
ところが、みんな 院生だったり、美容の専門学校にいっていたり、芸術系の人がいたりとやっていることはばらばらだった。「あきらめた」人もいるが、わりと みんな持続して それなりの方向にすすんでいる。「あきらめた」人にしてもかなりいい線までいってあきらめているかた、「つぶし」がきいており、決して無駄になっていない様子である。
これなら 「承認」を得ながら、別のところで「目的」のために動くことも可能ではないだろうか?
要は「個」と「集団」、「目的」と「承認を得る」ことをうまくわけていく「戦術」が必要ではないかと思う。
どう??
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