ポストコロニアル視点でみると応用人類学になるのか?

 先日 首都大学東京東京都立大学 775回社会人類学研究会で報告させて頂いた。

 なぜ、最近、日本の文化人類学における在日外国人研究は、応用や支援、社会貢献を言い出したのか? そして、ここで語られる応用、支援、社会貢献の含意はいったい何なのか? では、こういう議論がある中で、在日外国人、移民の研究調査をしている人類学者は研究・調査時のポジションにおいて、どういうスタンスを取るべきなのか?

 2006年総務省が「多文化共生推進プログラム」を提言して以降、
図式的に言うと

地方自治体の外国人施策⇔外国人支援団体⇔外国人

 人類学者や人類学的調査が、この「⇔」マークの仲介役になることを自明のものとされてきた。この仲介役説をけん引してきたのが、うえの「外国人施策⇔支援団体⇔外国人」という図式がもっともよく作られた神戸で主に動いている人類学者岡田浩樹と竹沢泰子である。

 ただ、まがいなりにも、京都に住むフィリピン人に90年代後半から関わってきた私にとってこの手の話はどうもあやしく感じてしまう。いまこのタイミングで言いだしたというのには、やはり行政が主導することに学者が協力するのは当たり前という前提であるのではないかという匂いがする。はたまた、行政とジョイントすることに人類学の生き残りをかけているのだろうか?
 タイミングがあまりにも良すぎると思っているのは私だけだろうか?

 行政の外国人施策の効率化ははたして人類学者の仕事か?行政との協働は他の分野にお任せしたら良いのではないだろうか?というのが私の率直な意見である。
 そもそも、行政と支援団体、そして当事者である外国人、そして、かかわりの深い日本人をつなげて、しかも日本社会に統合していこう類のことには向く学問ではない。
 
 そんな、ささいな疑問から始めた議論なのだが、これがなかなかうまくいかない。2009年の日本文化人類学会では、いかにして保見団地に住む在日ブラジル人が医療にアクセスできるようになるか?ということを論じた報告が絶賛された中で、「人類学者べつに支援活動はしなくてよい。ほかの部分で、当事者たちを楽しませればよい」という私の報告は、けちょんけちょんにされた。

無残だった・・・。

いま、人類学には在日外国人調査=支援という図式が大勢を占めていると言わざる負えない。

 岡田浩樹2007「人類学 "at home" ―地域社会への貢献をめぐる日本の人類学の課題」『文化人類学』72-2、241-268

「人類学が日本社会でいかなる社会的貢献を果たすことができるか?」という問いかけそれ自体は、人類学的課題検討に成り得ないと考える。

 本稿の結論を先回りして言えば、本稿は日本の人類学者が地域社会への社会的貢献をおこなう際に検討すべき二つの問題点を指摘したい。

 第一点は、日本の人類学は日本社会全体や日本の地域社会を研究対象とする場合の方法論的議論、アプローチの検討を行って来なかった問題である。具体的には、日本社会における行政システム、政治過程などの政策文化に対する研究の蓄積がなく、研究調査の成果を地域社会に還元する有効な手段を持っていない問題である。243ページ

 この文章の文脈には、やはり、前回のブログで述べた「⇔」の部分、人類学者が、行政施策と在日外国人を直結させる媒介役になる必要があるという含意がある気がしてならない。私の疑問としては人類学者の役割とははたしてこれだけか? もっと、急進的に言うと、こういう役割を要求してくるのは誰で、その圧力に応答する必要はあるのか?という問いである。

 さらに続けると、この問いは、外国人当事者によって作られた要求ではない。岡田が述べる「地域社会への貢献」とは、いったい誰に貢献することなのかを考える必要があるということである。

 ただ、それにしても、状況は一辺倒である。 

竹沢泰子2009「序―多文化共生の現状と課題」『文化人類学』74-1、86-95では

長期にわたる参与観察やインタビューといった調査方法と、さまざまな事象を全体的に解釈するといった分析方法、すなわち文化人類学ならではの手法に基づく研究が必要とされているのである。しかし、このような古典的な手法だけではない。後述するように、過去20年以上にわたって蓄積されてきたポストモダンの人類学の知が、今まさに多文化共生が抱えるさまざまなジレンマを考えるにあたって、活かされうると考えられる。86ページ

ということを一応述べている。

 ではポストモダンの知を活用するとはどういう意味なのか?

 私は、調査する人類学者の調査過程、研究だけではなく、学者の日常を含めた対象との向き合い方を一度分析したほうがよいのではないかということを解釈した。

また、変な話がある。在日外国人の、たとえば同じ国籍ごとや、同郷出身者ごとなどの社会関係が解明されていない。また、集住団地の自治会や、自助組織の活動などの分析はある。しかし、ホワイトの『ストリート コーナー ソサイエティ』の様な、移民のより幅広い関係がわかるような研究はまだ出ていない。

 なのに、いきなり応用とはなんだかおかしいように思う。
せめて、ポストモダンの知がどう活用させるかはよくわからんが、ポストモダンの視点から、調査の権力性という以前の、調査する人間の姿勢の部分をまず議論した方が良いとは思うのだけど・・・

どうでしょかね・・。
しないといけないことはたくさんありそうですね。