若干の不安定要素

 若干の不安がある。毎年年末、この時期、追い落とされるような感じを経験しているここ数年。
5日ほど前、またもや今年もRのPD(給料いい方のやつ)だめだったのである。

 駄目だったのがショックというゆうより、また、公募書類書かないといけないのが「仕事」とはいえ、しんどい。と、言いつつ、今日も、いろいろ求人みていた。わりとポスドクとか、実習補助職員とかで、そこそこ給料もらえるのがある。 

まあ、がんばろっと。しばらくは任期制かな。覚悟はできている!

 最近、自分はいったいどういうことに長けていて、どういう方向でいくべきなのか、考える。根本的な実力がないのは棚に上げる。野村監督と同じ発想である。弱者がいかに工夫して生きていくのかを考えている。

 そうすると、教育というか人材発掘育成というのはけっこう向いているなあっとは思う。あと、いろんなステークホルダーをつなぐというのもけっこう向いているような気がする。新しい社会関係資本の構築である。(まあ、この物言いはパットナムのように、何でも社会関係資本と言って、批判されるのでそれはそれで問題なのだけど。)

 とにかく、アカデミズムどっぷりというのはぼくの十八番ではないようです。明らかに。

 実際、塾講師のときも、いまも、基本的に自分の学生時代よりも成績が下の人を教えた事があまりない。もうとっくに限界は超えている。だけど、別の限界は超えていないのであろう。おそらく。

 以前、先生から 永田くんはアカデミズムと社会批評の間みたいなことをできたほうがいい。その分野の専門家よりも素人さんにわかりやすく表現する力をもっと磨くべきであるということを言われた。

 その時は、そう思うんですが、学会誌の査読論文にも載せるのもステップストーンとして必要で・・。と心の中で思っていた。

 まあ、確かに両方の力、アカデミズムでも通用する力量と、素人に問題を広げる力量両方はいる。

 しかし、どっちが向いているのかというとやっぱり後者だと思う。修士時代、Rの某研究科にいたとき、そこはわりとマニアックな人が多く、自分が嗜好する文化というか、世界というのは、そこの人たちの中では下位文化である様で、言語がまったくかみあわないことで、ストレスがたまっていた。

 しかし、最近は、ある別の学部の人たちと関わることが多い、そういうことがない。

 もちろん、「同じ」ことでしか、会話できない、言語交換できないことは問題なんだけど・・。
レヴィ=ストロースが言うように不可能、分岐、違いがあるからこそ、そこに交換が起こり、言語行為が起こり、神話の変換が起こる。つまり、違いがあるからこそ、ネットワークが形成されるというのである。

 最近、よく会う人たちの方が、持っている言語が豊富で多様ではないかと思う。
そもそも、ボキャがないと違いも生まれず、交換も不可能なのである。
 
 ボキャをシンボルに置きかえる。当然として、シンボルをたくさん持っている方が、それらを操作して、いろんなものに組み合わせを変換できるから、違いにもそれなりに対応できる。
 これは自分に向いていないと思う分野や物事でも意外と面白いことが言えるという可能性を導き出す可能性を備えているかもしれない。

じわっといこうっと!「じわっと」


文化人類学への招待 (岩波新書)

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この本の山口昌男さんの語り方、面白い!トリックスターとはあなたのことですよ!