次へ2 次にすること・できること

 以前、東京の研究会で知り合った、Dの院生さんに送ると言って、忘れていた博士論文を昨日、プリントアウトしていて、ふと、思った。

 「この論文、まだまだ書き足すべきことが多い。」

 前回の日記の通り、フィリピン人コミュニティーに再び足を向けてみると、これまでみえなかったこと、みようとしていなかったことが多い。
 
 集まりの中央にはいないが隅っこにはどういう人がいるのか、中心にはどういう人がいるのか。再び足を向けてみると、いろいろなことがみえてくる。これまではフィリピン人個人が日本に住むことになって、どのような人や組織、集まりと社会関係を形成していくのかをみようとしていた。

 いま、振り返って思うのが自分の博士論文はまだ仮説を構築したにずぎず実際の検討はこれからということである。

 個人から関係の広がりを見る
 
 個人が関係する集まりから個々を見る作業

 そこに関係する自分

 この複数者間の関係がたまたまトランスナショナルになる。

 ここに親密圏とも公共圏とも区別できない人々の圏というか「世界」がある。

 でも、この話って、単にフィリピン人だけの話ではない。べつに移動しなかった人々にもそれなりに当てはまる話ではないかと思う。

 複数の絡み合う関係を想定して、個人がそれを意識して、何かを行動するのが実は「近代的な個人」ではないかと思う。

 それをできん知識人は暗記人だな!また毒を吐いた・・。