映像シンポの感想

 昨日、京大の映像シンポを観に行く。

http://gaia.net.cias.kyoto-u.ac.jp/visual-media.practices/jp/program.html

 昨年度、研究員の受け入れでお世話になった松田先生や、人類学者として尊敬する清水展先生が企画されているということだったので、興味深々であった。

 結論としては、岡崎先生の報告がいちばん共感を持てた。私の感想としては、以前このブログにもコメントしていることの繰り返しになる。私がアクディビズムの再生産の部分、もっとわかりやすい言い方をすると、興味を持つ人間の裾野を広げていく方法、対象にしている人々についての諸問題を全く解消できていないということである。

 私は、ODA改革ネットというのに昔、参加していて、ここで抱いた疑問、そして、かつてのS党を支持していた「市民」という語を不用意に多用する人たちに対して抱いている懐疑的な部分がある。

 それは、運動への参加を求める対象が所詮、高学歴で、有名大学を出ているようなインテリに限定してしまっていること、そして、さらにたちがわるいのは、インテリに対象を限定していることに彼ら自身が気づいていない点である。

 小田マサノリさんは、不本意ながら、その典型みたいな人である。本人的にもがんばっているし、何らかの使命感をもって、社会に反対しているんだけど、彼には大きく欠如している視点がある。それは、いくつかの新聞が、彼が洞爺湖サミットでの彼の反対運動に対するネガティブキャンペーンに相当する文脈の記事を掲載していることを紹介していた。問題は、この記事に賛同してしまう人たちや、商業映画しかみない人たちの中にも、社会に怒りを持っていて、ひとこと言いたい人たちがいる。小田さんはそこに訴えかけようとしていないのである。そして、その必要性すら感じていない。いや、少なくとも日本社会のみんながみんなインテリ層だとおもっているのではないかということをついつい感じてしまう。

 残念ながら、亀岡の小規模大学から、左京区の「夢見がち」で、自分たちとロゴ中心主義の西洋個人概念の集合体で社会を変えることができと信じているGATED COMMUNITYを観察してきたぼくには、そう見えて仕方がない。大変申し訳ないんです!

 アクティビズムを広げるためにYuTUBEにあげている画像で自分が逮捕される瞬間を取り上げているのに、それをアクティビズムに興味がある連中にしか、広げようとしない。

 これでは、残念ながら自分たちの仲間うちで「夢見ている」にすぎない。活動の「再生産」はできないと思う。
 
 ではこの手の「無自覚」をどう解消するのか。そこで良いパフォーマンスをしてくれたのが、
フィリピンのキドラッド・タヒミック(日本語で「静かなる雷」)だろう。彼は自身の半生を振り返り、北部ルソン出身で、奨学金を取ってUPを卒業し、アメリカでMBAを取り、国際機関で働いていたという輝かしい経験をもつ。そこから、転身し、北部ルソンに住み込み、映像を取るようになった経緯を素晴らしいパフォーマンスを交えて、自らの方向転換を振り返っていた。

 これがおそらく日本の学者系アクティビストたちには欠けている視点なのだろう。日本の学者系アクティビストは自分を振り返らないし、さらさない。無自覚を学ばない。

 これではいつまでたっても、「夢見る」共同体で夢見て、美しい言葉の力に酔いつづけてしまう。
もう、そろそろ終わりにしませんか!はやく、次にゲームにいきましょうよ!
書をもって大学を出ようよ!ひとこと言いたい人を発掘しようよ!
 
 これはレヴィ=ストロース社会主義運動をやめた転機からひとつも変わっていない気がしたのであった。

 では、この堂々巡りをやめる方法として、何が必要なのか?
また今後続けてブログで書きます。
 最近の出来事で少々気になるコントラストあったので、紹介します。