執筆

 論文を書かねばならない。

 月並みだが「グローバルに広がってしまった市民社会の中の底辺で生きるフィリピン人の戦術」とでもいうべきものを書くことだけは伝えておこう。あとはご想像に任せます。

 さて、それと関連することだが、最近の医療福祉系の外国人受け入れ議論はおもしろくない!し、少々傲慢だと思う。

 なぜって、それは日本や先進国の側から見た「受け入れる」という発想でしかものを語っていないからである。いったいいつまで、「フィリピン」を「オリエント」な存在として他者化したら気が済むのだろうかと思う。

 ここでは詳しく言わないが、送りだされる当事者の皆さんは非常に厳しい状況に置かれているのも事実だが、非常にしたたかだからね!

 ただ、こういう批判をするとだいたい反論としてはあがるのが「われわれは日本人の研究者だから日本の側からみるのは当然」という反論である。いやいや、想像力がない。
 フィリピン人の側からみれないのはわかるけど、フィリピン人が何を考え、どのような経緯で移住労働を選択する(せざる負えない)、できない、状況にあるのかを、解釈しようとする想像力は必要だと思うんですがね・・・。

 となんとなく「生存学」の宣伝をしておきます。
http://www.arsvi.com/

あと昨日読んだ本

現代思想2009年2月号 特集=ケアの未来 介護・労働・市場

現代思想2009年2月号 特集=ケアの未来 介護・労働・市場

ついでに最近買った本、ちょっと読みました・・。

ネットワーク論に何ができるか―「家族・コミュニティ問題」を解く

ネットワーク論に何ができるか―「家族・コミュニティ問題」を解く

家族研究とコミュニティ研究のクロスという試み自体は面白いし、人類学者からみても参考になる。
分析方法はだいぶ違うけど・・・。