学生運動って??

 クリスマスパーティーに行った前日に某研究会にいった。テーマは「全共闘と00学」。
それぞれちがう大学で全共闘を経験した2人の人類学者が個々の経験を話した。わりと興味深かった。

 出身大学院の非常勤をやっている某大学准教授Sは飲み会で、武勇伝のように自分の出身有名国立大学での社会・学生運動の経験を語るものとは全然違って、リアリティがあった(ただこの人は全共闘世代では全然ないんだけど、どちらかというと「空白の世代」でそのことを全然話さない)。また、私の世代の一部が、当時流行っていたアジアで活動するNGOに参加する「ノリ」と同じようなものも、そうでないテンションも知ることができて、それはそれで楽しかった。正直、S准教授の話より、リアリティがあった。さらによかったのが大先生S氏があくまでも全共闘時代でも運動をやっていた学生が数的にはごく少数だったことを認めながら、話を展開していたことも、妙にリアリティを広げていた。それをご自身の学問的関心につなげて話すのには圧巻した。もちろん若干こじつけがあった感が否めないが。

 またもう一人のF先生は、大学内のクラス活動に一環的に自治会に入り、運動に関わり、抜けていったという、ある種、私や同世代の連中のNGO活動経験と変わらないかのような経験を披露して頂いた。そして、その中の友人たちの一部が学問を志すようになったこともよーくわかった。

 共通点や共感する点はともかくいくつか考えるところがあった。お二人とも自身が貧乏一家出身の学歴エリートであることを認めているが、やはり同じ世代の人々との経験の違い。いわゆる先生S氏にいわせるところの彼と同じ世代の「大多数の無関心層」との経験のギャップである。

 私はいま、出身大学、京都の郊外にある某私立大学KGの同窓会のお手伝いを成り行き上している。
ある懇親会の席で1期生の先輩と話したことがある。ちなみにKGが学生運動と全く無縁だったと世間では言われている。しかし、京大生、東大生、日大生がバリケードをつくっていたちょっと後の69年に我が母校が開学したわけだが、1期生の方の経験と全共闘経験はまったく別世界である部分、同じにおいがする部分がある。

 1期生の方によるとKG大は、創立時は校舎一つあるだけほかはなーんもなかったらしい。そこから、学生自治会やら、クラブ活動やらを、自力で作ったらしい。ある体育会のクラブを作るためのノウハウを別の大学の関係者にアドバイスを仰いだりもしたらしい。これって、かなり大変である。ぼくが入学した頃には、交通の便は悪かったけど、なんでも揃っていて、考えられないようなことである。

 違いは、KG大の先輩たちの活動もある種の「運動」だったと思うのだが、世間はそこには注目しないことである。やはり、そこが国家や社会全体を相手にする有名大学生が展開する「学生運動」とのギャップである。でも、個人を単に見ると、おそらく経験的にはそんなにかわらんのだろうなっと思った。

 この文化社会資本的なギャップは、私がNGOちうもんに興味を持って、なんかしようとおもったら、自分の大学にはそういう集団がなくて、他の大学の団体にいったときも感じた。
 その有名国立大学にいくと、妙に社会について語る学生が多いのに驚いた。また、彼らは国家の中枢にいけるという自信というか確信を持ち合わせていた。
 私は端的に「いやあ、そんな簡単じゃないでしょ。お姉さん、お兄さんたち」
と冷淡にみていた(すみません!決して馬鹿にしていたわけではないです)。

 そんな感じだったから、常にギャップを感じていた。私が大学生のとき、いくつか参加していた大学外のNGO以外に、自分の城が欲しいと思い、留学生と交流する国際交流サークルを某有名私大にまねて作った。有名某私大では、大学も協力的で、場所などを借りてイベント等をやっていた。こっちは、運営の不慣れや、学生の志向の違い、留学生がそもそも少ない等々あり、活動が盛り上がらない。あるとき、いくつかの大学の関連サークルのメンバーを集めた宿泊イベントが開かれた。
そこのスタッフに後輩何人かとなった。やはり文化社会資本のギャップを感じざる負えなかった。

 私は、このギャップで抱えることで、どうも人を観察する癖がついてしまった。しかも有名大学学生たちを観察する癖が・・。
 私は、彼らをうらやんでいるし、ねたんでもいるが、なんだかんだで観察してします。
亀岡の龍尾山の下から、左京区の吉田山の下や、今出川を、北区の衣笠山の下をついつい観察してしまう。
 
 ともかく、大学生時代の観察癖(レベルが相当低いブルデューというところだが)が人類学の始まりだったと気づいたのは、ごく最近である。

 そして、研究会でも2次会まで参加し、やっぱりいろいろ茶々を入れながら観察していた。

自分でも困っています。ただ、わりと参加型観察です。はい。

落ちがないなあ・・・。この文章・・。