maligayang pasko

 今年も行ってきた。教会のクリスマス・パーティー!!フィリピン人コミュニティはすごい!とつくづく思った。同じ信徒といえども、儀礼のスタイルも、個々の文化や価値観にちがいあるので、日本社会の中ではそれなりにすれ違いがある。フィリピン人コミュニティの人たちも、日本の中で、適応し、相互理解を深めようと努力している。数年前、ある教会からカテドラルに国際ミサが移された。前、ミサをやっていた教会がアットホームだっただけに、みんな残念がっていた。フィリピン人コミュニティの活動も一時停滞していた。しかし、そこにはいくつかの理由があった。それは単に、施設の使い方が悪いとか、ゴミの捨て方をまちがっていたとか。ミサのやり方がややちがうとかそういう問題ではない。日本の教会の深刻な高齢化である。そのために、フィリピン人だけでミサをやるよりも、それぞれが地域の教会で祈りを捧げて欲しいということであった。最近では司祭の数も不足しているらしい。もちろん、理想はそうである。

 しかし、なぜフィリピン同士の集まりや祈りの場が必要なのか考えよう。異国での生活、日本ではフィリピンへのイメージが決して良いことばかりではない。いや誤解を恐れず言うと決して良いとはいえない。同国人同士の関係は生きるために必要なのである。

 一時期、教会に人が集まらなくなった。しかし、ぼくがいかないうちに人は戻り、パーティーはたくさんのプログラムが用意され、たくさんの食べ物があった。
 途中ある方が、「楽しいのはいいけどあまりうるさくしていけないからほどほどに」という声もあった。それでも、多くの人が再会を果たし、MALIGAYANG PASKOの挨拶を交わしていった。若いフィリピン人や若い日比夫婦、留学生が以前よりも増えていた。流動しながらもコミュニティのイベントがフィリピン人が集まれる一時であって欲しい!と思いながら最近サボり気味であった教会にちゃんといかなあかんなあっと思った一日であった!