何のために生まれてきたかを考える機会になる!
- 作者: 野村克也
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2010/07/06
- メディア: 文庫
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を買って読む。
学者をやっている。しかし、じつは学者に学ぶより、いちばん学んだのは おそらく野村克也なのだろうとぼくは思っている。
ぼくは生まれた時代も1974年だし、昭和10年生まれの野村御大と比較すると いや比較ということでは あまりにも失礼極まりない、ともかく、生まれた時代も全然違うのだけど、なんだか、ついつい読んでいます。
それは共感が持てる点がひとつある。「弱者がいかにして勝つか」という点である。
ぼくは英語も下手で、 タガログ語はもっと下手である。べつに国立大には縁がない。だけど、どうにか 学者をやりつないでいる。それは、野村氏と共通する人生哲学を持っている気がするからである。文庫本版の55ページあたりにある。
感性を磨け! 失敗はしてもよいがなんで失敗したかをちゃんと把握しないといけない。そこから研究すること。自己分析することが大事であることを再確認する。
また、 野村氏が指摘していた。人は自分に甘い。自分への過剰なプライドが自分をダメにする。それではなく 日々自分が動き さらに上を目指すことが必要である。そのためには 究極的には「人は何のために生まれてきたのか?」。私的にいうと「何のために学者をするのか?」を考えねば意味がない。
こんなことは正直身近な学者からは全然きかん!
学者は野球選手以上にものを考える。知識もある。でも、はっきりいってなんも考えていない人が多いことがわかる。
もっと考える必要があるとつよく感じる。
大多数の学者は結局知識の量がある自分に酔っている。でも これでは 学問の進展はないだろう。要は自分ではなく「学問」が中心なのであろう。
どうしょうもないのがたまにいる。
学部時代に「賢い」と周りから言われて、なんだか勘違いして、自分でも賢いと思って 院に入ってくるやつである。
これはほぼ救いようがない。
学問っていうのは自分との闘いでどれだけ 「社会から認められたい」という邪念を捨てて、楽しみながら集中して、やって、それなりに得たものを活かすことをするほうがよいのであろう。そして それをいかす生き方が必要なのであろう。
難しい! ぼくもできていない。そんなことを考えながら読んでいるものである。
ぼくはまだまだですわ。
また 野村氏の言うとおり、ぼくも嫉妬の気がある。これが大きくなると精神のバランスを崩すし、そもそも、自分がしんどい。これにも気をつけたい。まだまだ邪念をスルーできていない。