近況・・・

とりあえず帰国しました。

今回はいつも使用しているフィリピン航空がパイロットの大量自主退職で、飛ばない危険性があったので、格安のセブパシを使うことに。

 座席が若干狭いことと、機内食が出ないこと、チェックインの風景がフィリピンの国内線ぽいことなんかいろいろあったけど。わりとアットホームで快適だった。帰りは最後までフィリピン気分を満喫できた。

行きにはなかったゲームもあったし。よかったよかった[m:50]

今回もなんにも当たらなかったけど[m:78]

まあマスコットキャラクターはなんだかかわいいしいいでしょう[m:66]

 さて、今回の滞在は取材をして、空き時間は博士論文の修正をしていた。よやくきっかけをつかんだ感じである。また、偶然に同じ時期に滞在していた研究者仲間と夕食をとったり、フィリピン人留学生の兄弟から預かり物を託されたりと、移動距離はあまりなかったわりに、いろいろ考える滞在だった。

 「人類学者はやたらと人類学にアイデンティティーを感じている。」

博士論文の副査だったN先生にいわれた。だけど、やはり、人類学として自分ができることを考える。また先生には笑われるだろう[m:67]

 ある同世代のぼくよりも先を走っている人との食事の会話で思ったこと。

 人類学、いや学問は、問いをみつける、たてることをすることが仕事である。もちろん問いを解く・説く作業も大事であるが・・・。

 だか、するべきことはまずは、問いを立てる、そして、もっと細かく言うと問いを自身から見たり、聞いたり、感じたりしたものから、他人の会話からみるけることであると思った。

 佐藤郁哉氏や、古くは川喜田二郎氏も共通のことを言っている様な気がするのだが、まずはそれを書きとめて解釈を開始すること。

この「解釈」にはすでに調査者の主観そして、人生が含まれている。
言語化したあとに、それをもう一度考えてみる。

 問いの位置づけそのものを考えてみることも大切である。

 いわゆる調査対象と想定する人々にとって。

 そして、学者自身にとって。

 ということである。

 問題処理能力ばかり早くしても意味がない。

 そこから論文なり、書きものなりに仕上げていく。

 そのためには 日常の目の前のものひとつひとつに敏感になる必要がある。 「雑用」と思うことに対してもそうである。無駄をつくらない繊細さが必要である。


 さらに、日常の目の前のことだけではなく、問いを立てる営みに重要な事は、書物を研究では直接関係のないものもを含めて読む、ながめることが大事である。

これは次元が違う営みにみえて、じつは少なくとも人類学者にはともめられることではないかと思う。学者は後者の文献的な営みばかりにとらわれる。しかし、なんだかそれだけではないような気がする。

 気がするだけで、根拠はなんにもないのだけど。

 当たり前のことだけど、センス オブ ワンダーの大切さをしった旅であった。

 もちろん 人類学以外の人文社会科学にも共通の課題なのだろうけど、ぼくはやっぱ人類学を選んでよかった。

 まあ問題処理能力や、大学の一般入試で求められるような瞬発力も必要なんだけどね。

とりあえず、頭の中が整理された。


マラテのあるカフェ 偶然に生演奏をやっていたv