最近は!
最近は、研究欲に満ちている。でも、これでこけたらまた鬱だあ・・。
昨日もフィリピン系の研究会があり、言語、教育、メディアから見える階層分断というか、政治空間の断絶みたいな話だった。最後の方にでたABSCBNとGMAの二大ネットが表象している新たなタガログ語圏を部分的に共有する大衆がいるが、それは階層などではないだろうという話に思わず、興奮してしまう。
今度フィリピンにいったときはPBBハウスの前のGellys grillでぼくとビールの呑んでくれる人募集します。
さて、最近は、尊敬する人類学者の一人、この著書を読んでいる、基本的には数年前から学術誌などに掲載されている論文を加筆修正をして、ひとつの論としてまとめたものである。
簡単に感想を述べると
主に、今後の人類学が、倫理学者ローティーが論じる「私的な自己創造」と「公共的連帯」という両方を備えた関係を人々の日常から捉えることについて論じている。
近年の過度な市場主義とその終焉(いわゆるネオリベラリズム)によって、既存の社会、政府、相互性を公的に作り出した制度は、弱体・解体化された。「自己責任」の名のもとに、人々は自発的、強制的に様々な関係性から離れ、「個人化」していった。もしくは、存在する共同体は液状のように出現しては消える、不可視、不安定なものとなっていた。
こういう時だからこそ、人類学者は個人、いや、人間は既存の日常的な社会関係、時には、弱者たちが、政治的に、文化、本質主義の再領域化を戦略的に、しかも、グローバル・レベルとして実践していく過程に踏み込んでいくべきなのだあ!
そういう、素二さんの気合を感じた一発、いや一冊だった!
この様な文脈でフィリピンもみるべきだろうね。きっと。
じつはこの本に納められている中身は学術誌等々に掲載された論文ではほとんど読んではいるのだが、あらため読むと、ああ、こういうことだったのかと思う。
素二さんはケニアの都市エスニシティを主に研究しているので、もちろんアフリカの例もある。しかし、10章の似田貝中野論争についての論文は、日本における、調査者-被調査者の権力関係、人類学で言うところのポストモダン人類学の系譜を知る上で重要な箇所であろう。
そうなると、世界規模で日常的な実践を展開するグローバル・エージェント、それをみる、いや係る人類学者。これを考えんとはじまらんというところだろう!
いやあ、またもやおそれいりました!
あとなんだろうなあ、この本で議論されている文化、人種の戦術としての再領域化というのは、別の人が「戦略的本質主義」なんて言い方して、わりと似たような論旨でいっているんだけど、なんだか、その話って、リアリティーないんだよなあ。素二さんのはなぜかリアリティがある。この違いっていったい何なんだろうね。インフォーマントが見えてくるということかなあ・・っとちょっと思ったりもする。
- 作者: 松田素二
- 出版社/メーカー: 世界思想社
- 発売日: 2009/06/04
- メディア: 単行本
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