23日カンファの感想

 23日のカンファは「多文化主義とグローバル正義」がテーマだったんだけど、中身は「グローバル不正義のなかの多文化主義」「植民地主義の最終型としての多文化主義」という感じだった。

 話はいろいろあったので、全部はいえないし、全部は覚えていないのだけど、とりあえず「正義」の「倫理」をグローバル規模で構築するのは無理か、不可能に近いというのが再確認されるという残念なことがわかったと思う。

「そんなの最初からわかっている。」と思う人が大勢だろう。しかし、それでもあえて「正義」について話そうして、この企画が進んでいたわけだけども、どうも「不正義の横行」の羅列になった感が否めない。

 それは「正義」を主張しながらも、「分配の正義」をどうにか「不正義」にならない程度にくいとどめるコミュニティや社会のモデルを提唱しようとする「提案型社会」の報告がなかったからだと思う。

 まあ厳密に言うとあったのだが、かなり大きな部分のセンやロールズのモデルだけ提案されて、それをみんなで考えようっていわれても、「いやあー、で、あなたはどう思っているの?」と返事するしかないのですね。

 私は経済学はまったく無知なので、この辺の議論はできないのだが、少なくともいえることは、ある個人や権力者がどういう行動規範に基づいて経済活動、権力者なら制度的な政策の推進も含めた活動をしているのかということ(人類学でいう「モラルエコノミー」の部分かな?)、それによってその個体がどのような社会関係を結んで、それがどういう形態のコミュニティなり、社会になっているのかを具体的にはなしてもらわんと、意味がないし、「正義」の議論にはならない。

 また逆説的に(これは少々ディルケーム的なモデルだが)社会や集団、コミュニティーがどのような行動規範、社会関係の形成する上での重視する価値規範をもっていて、構成員にどうそれを押し付けて、構成員がどのようにそのモデル規範を再生産していくか。その「モデル」を提示してもらわないと困るということである。

 そして、「モラル」基準の成立過程をグローバルに国境を越えたものとして考える必然性があるということでしょう。

 なぜオーストラリアではジョン・ハワードが首相になったのか?
 なぜフィリピンは移住労働者の人権保障を世界に求めるのか?
 なぜキューバが再評価されているのか?


 カンファを終え、お世話になっているある社会学者のブログをみて思うのは、やっぱこういう広い意味でのモラルエコノミーをみる力は社会学者のほうが上かなっと思った。

 そうなると経済学そのものの価値を問い直す時期がもうとっくに来ているのではないかと思うんだけどどうなんですかね?

 来年のカンファは経済学に強い社会学者入らないと絶対にだめだと思った。