つぎにすること(文化人類学的プロジェクト第2段)

合評会やってみるものです。参加者は10人ちょいだったけど、みなさん非常に貴重なご意見ありがとうございました。

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/g/na01.htm#20110805

さて、当日言わなかったことをここで披露しよう。
トランスナショナル・フィリピン人」研究をこれからも続けることは当然のことだけど、ここで新たな領域を開拓していきたいとも思っている。

 それは 現在、「高学歴ワーキングプアー」という語もあるように、課程博士を取得したものの、その先の就職がない学者希望者があふれている。私もそのひとりかもしれないのだが、確かに大学院の拡充で、課程博士の輩出数そのものが増え、その上、少子高齢化等々の理由により、大学教員ポストそのものが減っている。理系なら、企業の研究室なんてのもいけるけど、文系特に人文科学や社会学系は大学教員以外厳しい。ただ、これは相対的にみて、社会の中で可視化されるようになっただけで、おそらく、昔もそれほど変わらないのではないかとみている。
 ただ、大きく変わった点は、おそらく就職方法だろう。昔はほぼ人脈やツテを使って、各大学がほしい人材、教授会が必要な人材(理由は教育・研究の向上以外の場合もあるかどうかはさておき)を採用していくというほぼ水面下で人事が決まっていたようである。
 しかし、現在はこういうインフォーマルな制度が残っている反面、JREC などのサイトでわかるように公募が主流になりつつある。
 こうなると、単に学閥とか、人脈とか、また、学者としての研究力、学会誌の査読付き論文 等々の効果がどのように作用して、就職できたのか?またその後その人がどのようにアカデミックのなかでキャリアを積むのか?、はたまた大学官僚としてキャリアをつむのか? そういう、いわゆるアカデミックのアクターがいかにしてアカデミック社会でキャリアを積んでいくのかということを調べられないかと真剣に考えている。

 これは「個人を中心とする民族誌」手法がつかえるのではないかと考えている。かなり安易だが。それに、学者の養成をここ6,7年前からはじめて、蓄積のない新興大学院はこういう研究欲しているのではないかとはたまた安易なことを考えています。

 まあ いずれにしても「日常的な調査」法は使えないにしても・・・・。

 とにかく、社会学ソーシャルキャピタル論 、「弱い紐帯」「強い紐帯」に関するもの。
 都市人類学の「社会的ネットワーク論」などを再度サーベイしたい。
ブルデューもいるかな。

とにかくもはじめようと思います。

最近のぼくはいけてないとおもう

ども!
みんな元気ですか?

 なんか、最近のぼくはやっぱいけてないです。
そもそもこの言い回しじたいがちょっと古い。
もうよくよく考えれば、ぜーんぜん研究もすすめられていない。
正直 どんどん 頭が悪くなっているような気がする。
前は字や言葉があたまのなかでポンポン浮かんで、それをメモしておけばよかった。でも、それはいろんな本を読んだり、研究会に行ったり、いろんな人とあっていた結果、でてきたもので、まったくの「感」でやってきたわけではないんですね。
 まあ、まわりは「感」でやってきていると思っている人もいるみたいだけど、そうではない。どうも、いろんなことに追われていて、追われていることにまだ慣れていないので、結局、時間の使い方と頭の切り替えが下手で、そこをできるようにならないと、いまの状況は改善できない。
 合評会ある。だから、これもきっかけにせんとね。

やっぱ いけてないやあ。なんだか 高校時代を思い出す。
あのこともぜーんぜんいけてなかった。
やっぱこの言いまわし古いや。
おっさんだな・・・。

研究会のあとの懇親会の意味?

 ある研究会に行った後の懇親会に行く。

知り合いがすごく多い場合なら、だいだいその人と話すのだけど、かりに迎える側でも、学外の懇親会にいくにしても、
困るのはその距離感と交流の度合いである。

 ぼくは性格上だいたい初対面の人でもだれでもそれなり話せる。おそらく「パーティー」慣れしているのである。自分で言うのもだんだけど。

 高校時代から パーティー券の販売をしたり、大学時代も、1回生のときは亀岡に引きこもっていたが、海外研修にいったときの現地の学生との交流会等々、なんとなーく社交のやり方をそれなり心得ているような気がする。

 ただ、日本では 困るのは、研究会の後の懇親会で、立食系の場合である。

 そもそも これはよいか、悪いかはさておき、日本のこういう会では 全然知らん人と交流するという文化があまりない。当然、先生たちが いろんな人たちの話そうとしないから、学生院生たちはいつもの仲間と固まる。
海外では懇親会=名刺交換会 しかし、日本では =慰労会
なので、意味そのものがちがうので、それもアリかとおもう。

 全然しらない人しかいないのなら、そもそも参加しないのだけど、知っている人がちらほらおり、それ以外の人をあまり知らない場合だとちょっと どうしようかと悩む。だが だいたい空腹に耐えられず 結局参加する。
 
 まわりが慰労会のつもりなのに、ぼくだけテンションあげて、名刺交換会の気分でいってよいのかどうかいつも戸惑う。

 自分が報告したときなら ちょっと場を「ジャック」した気分になるんだけど、そうでもない。

 名刺交換会のテンションでいろんな人と話したいところだけど、ドン引きされるのは少々へこむ。テンションは異業種間交流会みたいな感じである。
 
 と、結局周りの目を気にするので、知っている人とだけ話す。

 でも、よく考えよう。どーぜ。恥をかくのなら、ぼくだけ異業種間交流会のテンションでいって、場を「ジャック」するのもありかと思う。

 もちろん、その日の調子もあるので、毎回はそうできないけど・・・、

 というわけで、次回からは 異業種間交流会のテンションでいってもよいのではないかとふと思った。

学会報告してよかったです。

 学会報告してよかったです。
確かに 最近は研究指導助手の仕事がいろいろとあり、やったことのないWEBリニュアルでいろいろと右往左往しているけど、やっぱり報告してよかったというのが率直な感想である。

 思い起こせば 初めて、報告したのがD2のとき、当時は他大学院の友人なんでほとんどおらず、立命チームみたいな感じで 同僚たちと歩いていたけど、最近は「逸脱」していろんな人と話せるようになった。
 この社会関係の広がりを調査したいぐらいである。

報告のほうは 相変わらず・・・で、まあまだまだ温めていく必要あるテーマです。
 それでも、移動しない「マルチサイティッド・エスノグラフィ―」の雛形ぐらいは言えたんではないのかと思っています。ちょっと自分に甘いですが。

 また 今回はある方の報告を聞いて、応用人類学への批判をし続けようか、やめようかと思っていたのだけど、人類学的営為そのものに「実践」や「応用」的な要素がつきまとうので、そもそもその一部だけを切り取って強調するのはどうかという、ある種の別の道を模索できるのではないかというささやかなヒントを得たような感じがした。
 
 そうなると仮に批判をするにしても もっとクールな批判ができるかな。批判のあとに オルタナティブもだせるかなっという気もした。

 まあ、とりあえず ほっとしました。
ちょっとは解放されました・・・???

ねこを飼うことになりそう

 どうも 我が家に ニューフェイスが現れそうである。

ねこを1匹譲り受けることになりそうである。

 知り合いの方のところにいる猫が出産し、そのうちの1匹である。小中時代にカメをかったことがある以外はあまりペットとは縁がなかったので、最近では猫飼育関係の本を読んでいる。

 なんだか ねこもいろいろ特質があって面白い。

 そういえば、人類学でもいわゆる「コンパニオン・アニマル」研究がある。これはペットと飼い主である人間との関係についての研究である。

 これもいわゆる「社会関係」の領域に十分入る話である。

もちろん 研究ネタにするつもりはありません。

 ただ、ここ数年 いろいろと思うことがあったので、人だけではなく 動物ともちゃんと関係をつくっておこうと思う。

 しかも 雄らしい。

 どうも人文社会系の大学院というのは 女性の院生が多い。
職員さんも女性が多い。教員は男性が多いけど・・・。

また、フィリピン研究者もなぜか女性が多い。普段、男性とあうよりも女性と会う方が圧倒的に多い私にとっては、ここは「男同士」の関係を作れるチャンスである。

 楽しみ楽しみ!